恵文社一乗寺店 スタッフブログ

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イベントレポート:柴田元幸 藤井光「死者たち」

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2月18日(日)に開催した朗読とトークのセッション『柴田元幸×藤井光「死者たち」』のイベントレポート。

 

翻訳家・柴田元幸と藤井光。アメリカ文学に関心を持つ日本の読者にとって、まさしくドリームマッチといえる組み合わせとなった今回のセッション。意外にも対談という形でのイベントはこれまでに数えるほどしかされてこなかったそうです。あらゆる国の、あらゆる作品に登場してきた数多の死者たち、アメリカ文学のこれまでと現在、話はあちこちに飛びながら、文学における「死」というものを掘り下げていく刺激的な内容でした。早々に札止めとなったこともあり、今回スタッフのレポートという形で少しだけイベントの様子をご紹介します。リスニングをもとに書き起こしているため、作品名等、正確ではない項目がありますがどうかご容赦ください。

 

第一部は朗読。

 

藤井光:「The Red Badge of Courage」/ スティーヴン・クレイン

南北戦争。敗走を覚悟した若い兵士が逃亡した森の中で出会った兵士の亡骸。

 

柴田元幸:「食卓の幽霊たち」/ シリ・ハストヴェット

シャルダンの静物画。そこに居た人とそこを去った人。静物画はフランス語で“死んだ植物”という言葉で表される。なお、シリはポール・オースターの妻。

 

藤井光:「歌う女たち」/レベッカ・マカーイ

ハンガリー系アメリカ人作家。ナチスによる弾圧と故郷の歌。寓話化することへの作者の逡巡。

 

藤井光:「イスカンダルの鏡」/カニシュク・タルーア

インド系アメリカ人作家。アレキサンダー大王が遠征で探した命の泉。ホームの喪失。

 

第二部は、今回朗読された作品を中心に進む文学談義。後半は、本イベントでお二人に課題図書のように提示された『死体展覧会』に話が及びます。藤井さんが翻訳を手掛けた『死体展覧会』は、イラク出身の作家、ハサン・ブラーシムが直面した〈非情〉〈暴力〉〈死〉を血なまぐさく表現した作品です。全編を通じて、柴田さんが藤井さんに質問を投げかける場面が多かったような印象があります。

 

ここにあがった作家名からもわかるように、藤井光という翻訳家が紹介する作家の特徴は現住するアメリカと別の国に、故郷、言い換えればホーム、ルーツを持っていることだといえます。語弊を覚悟していえば、「移民系」とジャンル分けされることもある人々。ここ数年では、新潮クレストブック、白水エクスリブリスシリーズでも毎月のように、アメリカ以外にルーツを持ったアメリカ人作家の作品が翻訳されていることからもうかがえるように、文学において、かつてのアメリカ像はなりを潜め、無国籍、ノーボーダーともいえる空気が出来上がっています。藤井さんはこの潮流を、著作『ターミナルから荒地へ』のなかで、空港がどこの国に行っても似た造りをしていることになぞらえ、〈ターミナル化〉と表現されていました。

 

ただ、その作家たちがルーツを全面に出した自分語り的な作品を書いているかといえばそうではなく、自己を、あるいは同じルーツを持つ人間を他者化した、あくまで隣人としてのスタンスをとる作品が多くみられます。「韓国系の作家ポール・ユーンは著作のなかで、チェジュ島のことを書いているが、本人はその島に訪れたことがない。」という具体例も。アメリカとそれ以外のどこかにある故郷という、二項対立的な伝統移民文学の構図は終わりを告げ、抽象化されていくホームの概念。グローバリズムによって融解していく壁は、文学、映画、音楽など、芸術の分野にも当然の如く作用しています。

 

そして、話はテーマでもある「死」へ。9・11の前後でアメリカの文学は大きく変わったとお二人は言います。小説を書く上でどうしてもついてまわり、これをどう扱うかはアメリカの作家にとって無視できない要素。正面から向き合う必然性は?文学は引き受けざるを得ないのか?クレインの時代から現在まで、時と場所を行き来しながら、アメリカ文学に長く向き合ってきたお二人による意見が交換されます。なかでも印象深かったのは、柴田さんの「弔う感覚はブラーシムの作品にあるか」の問いに対して、藤井さんが答えた「弔うことで終わらせてしまう、区切りをつけてしまうことを避けている感覚がある」という言葉。「死」を寓話化することへの逡巡。リアリズム、当事者性。戦争のメタフィクション化。戦争や震災、あらゆる「死」への文学の立ち位置として、何か新しい解釈を提示されたような、この一言が今回の対談の回答だと私は思いました。

 

長くなりましたが、いかがでしたでしょうか。もちろん、今回ここに書いたことはほんの一部です。同じアメリカ文学を専門としながら、対照的な二人の翻訳家。そう遠くない未来に、このタッグによるイベントを開催することを夢見て。

 

(鎌田)